Liberal and Freedom

 今日は私用のために1日休暇を取っているテルミナ™です。

 ふと、「自由」という言葉を目にして、色々と思うところがあるので、今日はそれについての独り言を。

 政治問題に関心のある人であれば、昨今、日本国民の自由が制限されつつあることにお気づきかと思われます。

 現憲法の下で、私たち日本国民は、基本的人権と数多くの自由が保障されています。

 そして、その自由が保障されているからこそ、私たちは健康的で文化的な生活を送ることが出来ています。

 しかし、ことさらに自由を標榜する人の中には、他者に対して自由を認めると言いつつ、「ただし俺様の意思に反しない限りでな」という条件を勝手に付加する輩も少なくありません。

 これは何も政治家に限らず、一般人の、それも自由意志によって形成されているはずのコミュニティでさえも起こっていることです。実際に、私は7年前にとあるコミュニティから事実上追放されましたが、そのときに私を追放するために音頭をとっていた連中やその取り巻きも、口では他者の自由を尊重するようなことを言っていた者たちでした。連中の中では、暗黙の了解として「ただし俺様の意思に反しない限りで」という付帯条件がすでにできあがっていました。

 昔から日本人は村社会が大好きで、それは村社会の思想に真っ向から対立するはずの自由を保障する日本国憲法が出来てからも変わっていません。そして、特定少数の「声のデカい奴」に追随することを強要されることが、未だにまかり通っているのです。

 私はTwitterのプロフィールで、自分が自由党支持者であることを明示しておりますし、また、自分がリベラル派であることを公言しています。もちろん政治思想的に現政権と相反するということもあるのですが、政治の世界に限らず、他人の自由を制限する自由が自分にはあると考えている連中と一緒にされたくないということを、明言する必要があるからです。

 現政権が進めようとしている「新自由主義」なるものは、私たちが言うリベラリズム、いわば真の意味での自由主義とは相反します。「新自由主義」は支配者階級に、他人の自由を制限する自由を与えるもので、危険極まりない思想です。

 日本では、いわゆる新自由主義者に限らず、右から左まで、「自由」に他人の自由を制限することができる自由までもが含まれると勘違いしているモノが大勢います。実際、先述の私がコミュニティから追放されたときに音頭をとっていた中心人物は極左でした。今の日本では、右から左まで冒されている「間違った自由」を打破するために、リベラル派は今こそ結集しなければならないのではと思います。

 乱文失礼。

このブログで関連すると思われる他の投稿:

00
この記事はTwitter, 雑談に投稿されました タグ: , , , , , , , , , , , , . このパーマリンクをブックマークする。 Trackbacks are closed, but you can post a comment.

コメントを残す