意識高い系の空虚な言霊

「意識高い系」。

もうずいぶん前から目にしたり耳にしたりすることの多い言葉です。それも、あまりよくない意味で使われることが多い。

私も、時々その手の人間と関わることがありますが、まあ正直、あんまり仲良くしたいとは思えません。

といいつつも、実は私、この「意識高い系」という言葉の意味を厳密に追究したことがありませんでした。

ネットを検索してみたら、言葉の意味そのものの説明ではないものの、なるほどなと思う文書がありました。

参考ページ
「意識高い系」の人はなぜあんなにウザイのか?

 正直、私が認識していた「意識高い系」と若干異なるところもありますが、この言葉を非常によく説明していると思います。

自分がこれまで「意識高い系」という言葉に対して抱いていたイメージは、概ね次のようなものでした。

  • やたらと経歴や(特権的な)地位を自慢する
  • 世間に対して影響を及ぼしていることを誇示する(それが本当の意味でどれだけ影響しているのかは別問題)
  • 自分とその取り巻きたちだけの閉じた世界を作り、周囲の者たちをそこに引きずり込もうとする(そのくせ、考え方の合わない者を排除することも多い)
  • 一言で言うと「自己満足系」

先述のページで述べられていることと、概ね合っているような気がするものの、若干違うところもあります。先方のページでは、自分のプロフィールを「盛る」と述べられていますし、人脈やソーシャルメディアやカタカナ語についても、自分はあんまり意識していませんでした。

とはいえ、先述のページで述べられている例に登場する「意識高い系」の人物たちは、概ね自分が考えていた項目も当てはまりそうです。

私も実際にその手の人間を何度か目にしておりますが、意識が高いことそのものはいいものの、当人たちの「意識高い」営みが、当人たちやその取り巻き連中ではない一般人にまでよい影響を与えることはきわめてまれです。むしろ、自慢話(それもだいぶ誇張されたもの)を延々と聞かされ、しかもこちらとしては何も得ることがなく、ただ交通費と時間を無駄にして終わる、というケースのほうが圧倒的に多いです。

「意識高い系」の人たちは、確かに、自分に絶対の自信を持つだけあり、饒舌ではあります。しかし、彼ら基準でいえば下々の者どもの一人に過ぎない私のような人間からしてみれば、彼らの発する言葉の意味は全くといっていいほど理解できません。たとえるなら、「毎日がエブリデイ」などとひたすらシャウトするだけの歌を、延々と聴かされるようなものです。そんな「自己満足」につきあわせされる身としては、たまったものではありません。

しかし困ったことに、どういうわけか、その手の人間、取り巻きも少なくないのですね。本性を知っていてくっついている次官級の連中もいますし、彼らの発する「意識高い」言葉を本当に信じ込んでしまう人も少なくありません。残念ながら、かつての私もその節がありました。物事の本質をわかっていればまず引っかからないはずなんですけどね。この点、「意識高い系」は「オレオレ詐欺師」と似ていると思います。

この手の「意識高い系」、雑多な人が集まるところ、特に秋葉原ではよく見かけます。時々、街中で、何の為にやっているのかわからないようなイベントを見かけることがありますが、結局は「意識高い系」の自己満足に帰着するのではと思いますね。

その手の人間は、相手にするからどんどんつけあがるのであって、可能であれば関わらないに限ります。関わっても自分自身の意識は決して高くならず、よくても何も得ることがなく、それどころか悪影響を受ける可能性のほうが高いです。

オレオレ詐欺に引っかかりたくない人は、「意識高い系」の言動にも注意する必要があります。ある人物の言動に違和感を覚えたら、その相手が「意識高い系」の特徴を有していないかどうか、冷静に熟考してみるべきです。もし「意識高い系」の疑いが濃い場合は、足下をすくわれる前に相手と距離を置くことを、強くおすすめします。これは自分の為でもあり、相手の為でもあります。

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