福知山線脱線事故から10年

 2005年4月25日、JR福知山線脱線事故が起きました。

 JR発足後としては最悪の鉄道事故であり、日本の鉄道史上でも7番目の大惨事なのだそうです。

 当時埼玉県在住だった私はこの事故による直接的および間接的な被害は受けておらず、また、私の近親者にもこの事故による影響を受けた者は皆無です。

 とはいえ、この事故は、私の人生にとって、ある意味でターニング・ポイントとなりました。

 そう。この事故は、私が日本の報道に対する信用を喪失する決定打となったものです。

 この事故によって、当事者であるJR西日本は各方面から厳しい追及を受けることとなりました。これによって、JR西日本の組織としての体質、とりわけ、「日勤教育」による現場従業員に対する懲罰的な意味合いの強い再教育の制度が批判されました。これについては、連日の報道で、多くの方がご存じかと思われます。

 しかしながら、この事故における連日の報道で、各報道機関とも、JR西日本に対する厳しい追及姿勢は見せていたものの、事故の被害者や遺族に寄り添う姿勢を見せたところはほとんどありませんでした。私が知る限りでは、皆無と言ってもよいくらいです。

 事故発生のメカニズムに対する解説や、JR西日本の経営陣を罵倒して英雄気取りになっている自称記者の姿は頻出していました。

 しかしその一方、被害者や遺族をいかにして救済すべきかといった話や、それに向けた議論の喚起は、少なくとも私が知る限りでは皆無でした。報道とは、本来これがなされてしかるべきと思うのですが、間違っていますでしょうかね?

 それから、JR西日本に対する批判が起きるのはやむなしなのですが、どう考えても「批判」の域を超えているとしか思えないようなことをする報道機関もありました。

 報道の中で、事故後、JR西日本の現業に対する暴行が増えているなんて話もありましたけど、逆にマスコミがそれをあおっているのではと思えましたし。また、子供の弱いものいじめのように、反論できない相手に対してひたすら罵倒を続けるだけという印象すら抱きました。社会悪批判とはまるで別次元。

 これら一連の報道で、私は、マスコミを、三権(立法、司法、行政)の外にある「第4の権力」と考えることを辞めました。

 その約6年後に、東日本大震災や、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生しますが、このときはさらに報道は劣化し、当事者である東京電力に対する批判も控えめであり、かといって相変わらず、被災者や遺族に寄り添う姿勢なんてみじんも見られませんでした。当然ながらその報道姿勢への批判もありましたが、福知山線脱線事故の時にすでにマスコミを見限っていた自分にとっては、もはや驚くべきことではありませんでした。

 今一度、報道に携わる方々には、ジャーナリズムのなんたるかを思い出してほしいものです。もはや、報道機関の存在意義素のものが問われる事態なのですから。そして、それに対する回答は、芸能人がたくさん出てくるバラエティ番組やクイズ番組などではありません。

 最後になりましたが、改めて、福知山線脱線事故で亡くなられた方々に対する哀悼の意を表し、直接または間接的に被害に遭われた方々に対し、心からお見舞い申し上げます。そして、鉄道各社に対しましては、事故が起きぬよう、引き続き安全運行をお願い申し上げます。

参考記事
JR福知山線脱線事故Wikipedia

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