言霊

今朝ほど私は、Twitterのタイムラインを読んでいたときに、他者によるとある発言をリツイートしました。

 具体的にどのような発言だったのかについては言及を避けますが、その発言の中で特に自分が注目したのは、「漠然とした抽象的な表現はアメリカ人相手には禁物であり、彼らはその表現を『額面どおり』に、無内容と受け取られるだろう」という趣旨のお話でした。

 私はそれを踏まえ、自分が近頃考えていることを、3回に分けて発言しました。

関連発言
テルミナ™ @11/09伊奈さんはTwitterを使っています: “確かに、言葉で他人に何かを伝えるというのは難しいね。 特に特定少数相手に何かを伝える時に、読み手のご想像にお任せします的な物言いはナンセンス。読み手は額面通りにしか読まないし、それで読み手に不快感を催させようものなら、それは書き手側の怠慢の問題。”Twitter

確かに、言葉で他人に何かを伝えるというのは難しいね。

 実際に、自分の経験上、漠然とした抽象的な表現をされて、その言葉の解釈を読み手や聞き手に委ねられても、読み手や聞き手は、よほど書き手や話し手と以心伝心の関係にない限りは、その言葉を書かれているとおりにしか解釈できません。下手に拡大解釈しようとしても曖昧さを避けることはできません。

 しかもそのような状況下で、読み手や聞き手がその表現に対して不快感を催すこともあり得ます。通常でもそうなのですが、特に読み手や聞き手と、書き手や話し手との人間関係が、あまり良好でないような状況下では、悪い印象を与えやすいです。

 この様な状況下で、書き手や話し手の側からは「そういうふうに取られるとは思ってなかった」と言われることがあります。しかしそのようなことを言い出す書き手や話し手の側からは、自分の話を相手にどのように受け止めて欲しかったのかということについては一切明言されません。

 もし、読み手や聞き手が、話し手や書き手である自分の発言を誤解していると思うのであれば、その責任は読み手や聞き手ではなく、言いたいことを相手に正しく伝える努力を怠った話し手や書き手側にあります。自分たちの怠慢を棚に上げて相手のせいにされても、相手から見れば理不尽なだけです。

 ましてや、自分の経験上、他者の意見を聞く意思のない者ほど、自分の怠慢を棚に上げて、相手に対して「そういうふうに取られるとは思ってなかった」と口にするように思えます。もちろん、どのように受け止めて欲しかったのかについて全く明言されないことは言うまでもありません。

 また、そのような状況に陥ったときに、時々、話し手や書き手の中には「自分に文才がないから」などと言い訳してくる者もいますが、日常会話レベルの話で文才や語彙力を持ち出すことが、かえって相手である聞き手や読み手を侮辱しているということに、当人たちは気づいているのでしょうか? 聞き手や読み手としては、「お前程度の者を言いくるめられなかった愚かな私」と言われているような気分ですね。

 相手に対し、誠意を持って自分の伝えたいことを伝えようと思うのであれば、文才や語彙はそれほど重要ではない。相手を尊重し、多少舌足らずだとしてもご自身の言葉で相手と向き合って言葉を伝えることこそが、必要なのではないでしょうか?

 あと、聞き手や読み手が、話し手や書き手の発言に対して理解できないという態度を示したときに、「いつかわかってもらえるときがくる」と返してくることがありますが、「いつか」っていつですか? 無限の時間の彼方ですか?

 「いつかわかってもらえるときがくる」と相手に一方的に「期待」しても、相手はおそらく永久に「話し手や書き手が望むこと」をわからないことでしょう。

 「いつかわかってもらえるときがくる」という発言は、「私は言いたいことを言ったので、後はお前が私にとって都合のよいように解釈しろ」と言うことと同義です。自らの言葉を正しく相手に伝える努力を怠っておきながら、相手が自分の意に沿わないということを受け入れない。こんなのはコミュニケーションでも何でもなく、話し手や書き手の単なる自己満足に過ぎません。

 もし、話し手や書き手が、自分の発言について相手から自己満足と思われるのが心外であるならば、聞き手や読み手に言いたいことを具体的に伝えることと、自分たちが相手に求めるものと同等レベル以上に、自分たちも相手の言いたいことを真摯に聞くこと、この2つを怠ってはなりません。そのどちらが欠けても、コミュニケーションは成立しません。

 自分はつい最近にもこの問題に突き当たり、不愉快な思いをさせられたばかりですし、過去にも同様の不快感を味わっています。また、逆に書き手としてうっかり抽象的な表現を使って相手の印象を悪くしてしまったこともあります。

 書き手や話し手が、自分の言いたいことばかりを一方的に、しかも抽象的に言ったとしても、読み手や聞き手には、伝えたいことの2~3割ぐらいしか伝わらないでしょうし、しかも、実際の悪意の有無にかかわらず、悪意ありと取られる危険性も多々あります。もし自分の発言が相手に不快感を与えてしまった場合、その責任は100%、書き手や話し手にあります。もし相手が著しく気分を害してしまった場合、日を改めて、もっと具体的かつ誠実に、相手と向き合って話を続ける必要があるのではなかろうかと思います…。

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